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早く死んでくれ。

早く死んでくれ。あまり介護が長引きすぎると、介護する側はそう思うらしい。

たとえそれが、親でもだ。

私の好きな小説の言葉で、こんな言葉がある。

「そうだよなあ。親なんて、血がつながってるだけのただの他人だもんな」

 

この言葉を初めて読んだとき、はっとした。そっか、そうだ。

血のつながりがあるだけの、他人。血のつながりがある他人。それが家族。

 

例外は夫婦だけだ。「カルテット」の中にもそういった台詞がある。

「夫婦って、『別れられる家族』なんだと思います」

 

血のつながりってなんだろう。僕は最初、「親でも」って言ったけど、親だろうがなんだろうがってもんなのかな。

みんなそうなんじゃないの?「血のつながり」って名前を付けて落とし込まないとやっていけないから、接していられないから、介護できないから、そういってるだけなんじゃないの?

血のつながりってなんなの?言いわけじゃないの?

 

血のつながりは呪いだ。よく言えば、おまじないのような、悪く言えば、気の持ちようのようなものな気がする。

 

血のつながりとは関係ないんだけど、病んできた。

今テレビで作家が「慢性的に憂鬱でなければならない」って言ってるけどわけてあげようか?この憂鬱。いくらでも、もう憂鬱生産工場といっても過言じゃないからね僕は。

 

死にたい。死にたい死にたい死にたい。

楽になりたい、すべて放り投げたい、肩の荷を下ろしてしまいたい。

めんどくさいことから逃れたい。そういったものだ、僕の死にたいなんて。

憂鬱ですらない。ただの甘えだ。死にたい。

いつまで甘えるつもりなんだろう。甘えるか死ぬか生きるか死ぬかどれかにしたらどうなんだ!

気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

死にたい。それに尽きる。この死にたいにはいろんな気持ちが込められている。

好き嫌い気持ち悪い消えたいごめんなさいありがとう。

ごめんね。

イライライライライライライライライラする。

こんな自分に。