相反する二つの感情。

※この記事はドラマカルテットのネタバレが多少含まれますが、ほとんど関係のないこ となのでご存じない方でもご覧になれるとは思います。怖い方は見ない方がいいかも。 

 

カルテットの中で、高橋一生さんが泣くシーンがある。

かくいう私も今日は泣いてばかりだったのだが、泣いてると自分がすごく汚い気がする。汚い感情が涙となって出ているのだから理論上ではきれいになっているのに、よけいに自分がぐちゃぐちゃになって、なんだかおどろおどろしいものになっていく気がするのだ。

自分は気持ち悪い。死にたい。でも痛いのは嫌い。楽に死にたい。

学校でもこんなんになったらどうしよう。やめさせられるんだろうか。

それじゃなんのために戻るのかわからない。

そうならないために頑張るって決めたんじゃなかったのか?

自分が自分を嫌いになるのを感じる。

自分を嫌いになるということは、他人を嫌いになることよりもつらく険しい道であることもあると思う。

泣くのは疲れる。こんな、ずたぼろになる。

ぐちゃぐちゃになって、自分が自分じゃなくなっていく。

 

今日のカルテットの中で、松田龍平さんが松たか子さんに対して相反する二つの感情をもっていると告白するシーンがあった。

いとしいは、むなしい。

やさしいは、つめたい。

人間とは複雑な生き物だから、そういったことは不思議なことじゃないと思う。

好きな人にも嫌いな面があるし、嫌いな人にも同感できることがある。

私だってそうだ。

死にたいけど、生きたいのだ。

どうしようもなくてもう身動きが取れないからしんでしまいたいけど、今までこんな私にも生きろって言ってくれた人がいるから、その人たちのためだけに手も生きたい。

僕はいつだって、そんな正反対の感情の板挟みだ。

でも自分のことはいつだって嫌いだし、自分なんていつでも死ねと思っている。

死にたい死にたい言うなら痛い思いをして誰かのために死ねと思う。

それができないとわかっているから死ねと思う。

それでも、辛くても死ぬことは許さないといった人が、僕は大好きだった。

私の背中を押してくれた人たちのために、自分で疲れたからと言って歩みを止めることだけは、しちゃいけないことだともわかってるから。

今日も生きちゃったなぁ。