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カメラに負けた(最初から飛ばしすぎ)。

 

「ブログを作ってみよう?」

この言葉を最初に主治医から言われたのは、もう結構前になると思う。正直ブログなんてたいそうなものを書くほどの毎日も考えも持っていないし、続ける根気があるかと言われたら答えは間違いなくNOだから、最初はあまり乗り気ではなかった。読んでくれる人も、思いつかなかったし。でも、気が向く限り書いていこうと、今は思う。

 

私は今精神病院に入院している。六日に退院する予定だが。

入院するに至った経緯を振り返るのは、いつかネタ切れのときにしようと思う。

きのう書こうと思った記事が、寝落ちしてしまって書けなかったので、今、昨日のことを書こうと思うのだけれど、じゃあ今日のことはいつ書くのかってことになるので、今日はたぶん二つ記事を書くんだと思う。

一昨日もう会うことのない看護師さんのことを考えて大号泣した私だが、昨日も会うのが最後の看護師さんがいた。というのも今は一泊の外泊中、帰るのは今日(五日)の夕方の夜勤帯だから、五日の夜勤と六日の日勤のみにしか会えない。そこに重ならない人は、僕はもう、もう一度同じ病棟に入院しない限りあうことはないのだ。

ある看護師もそうだった。その看護師は日替わりの児童思春期・・・蕾の担当だった。

その看護師とはよく話していたから、最後まで話したくってつどい(児童思春期専門の部屋)の時間にいた。でもやっぱりあっという間に時間は過ぎて、私は外泊に出かける時間になった。

廊下に出るともう母は来ていた。最後に「ありがとうございました」というと、背中をどんと叩かれて、「がんばれよ」と言ってくれた。

ああ、こんなこと前にもあったなあと思って振り返ると、大学病院に入院してた時も、最後に、がんばれって言ってくれた人がいた。

その言葉をもらっただけで、僕には頑張る義務があるように感じた。

 

 

 

 

そのあと、画塾に行った。

そこではもうひたすら絵だ。僕なんかおよびではないといった感じだった。

劣等感の塊だった。自分で言い出したくせに何でこんなところ来てしまったんだろうと思った。僕はこの世でいちばん私が絵が下手なんだと痛感した。

目の前にある者さえまともに映せないのだ。僕はカメラに負けたのだ。

イーゼルで書いたことはなかったし、針金の入った腰にはキツかった。

しかもまだ私には形をとることすらできていないということなのだろう、影を付けずひたすら峰の部分だけを書いていく。

周りには作品がならび。僕の手からはゴミが関の山だ。悲しくならないわけがない。

それでも私が最後まで居られたのは、やっぱりそれでも楽しかったからだ。

絵がかけるなら、続ければうまくなれるというのなら、私はどこまででも続けよう。

絵がうまくなりたいと思った。

 

そう考えると、私はたぶん人生が、世の中が、そして世間が好きじゃないんだと思った。みんななんだかんだで自分の人生が好きだし、だからこそ続けられるんだと思う。

私は絵が好きだから続けられるけど、生きることは好きじゃないし辛いから続けられないのだ。だから死にたいし、消えたいし、やめたい。

そうなんだろうと思う。

 

1000文字を超えたのでそろそろ終わりにしようと思う。

今日は友達と遊びに行く予定なので、その結果はまた夜にでも。